アメリカで愛娘をなくしました
三年前に愛娘を亡くしました。まだ30歳でした。
娘は旅行先のアメリカで亡くなりました。遠隔地だったので、故人の体はアメリカで火葬し日本へと連れて帰りました。
女手一つで育ててきた最愛の娘。大きなショックのため、すぐには娘の身に起きたことをきちんと理解することができず、ただ呆然とするばかりでした。
今振り返ってみると、無事に娘を送り出すことができたのは、エンディングコンサルタントの方が丁寧に一から説明し、こちらの意見をきちんとくみ取りつつ送り出しの準備をすべてを仕切ってくれたおかげだと思います。おかげで、悲しみで頭がいっぱいではありましたが、娘らしいお葬式をしてあげることができたと思います。
いつも明るく、御洒落が大好きだった娘は夢を叶えて念願の美容師になりました。毎日忙しそうではありましたが、楽しそうに仕事をしていました。合間を見つけては友達と旅行に行ったり、買い物に行くのが好きでした。
派手なことが好きだった娘のために、祭壇は南国風のカラフルな花で飾り、アルファベットで娘の名前を刻んでいただきました。
また、参列者の皆さんに娘と過ごした日々を振り返ってもらおうと、会場に別々の部屋を設け、たくさんの娘の写真を部屋じゅうに飾っていただきました。
最後にお別れを言いに来てくれた娘のお友達たちは、最初に会場に入るとお葬式らしくない明るい雰囲気に驚かれていましたが、すぐに「○○がすぐそばに居るみたい」と懐かしい思い出を語り合いながら泣き笑いしていました。
貼っている写真を「懐かしいー!」と言いながらまた写真に撮ってくれる子も居ました。それを見ながら、人の悲しい顔を見ることが大嫌いだった娘の優しさを思い出しました。
娘がまだ小さいころに離婚をした私は、女手一つで娘を育ててきました。一人では何かと苦労をすることも多く、仕事と家事の両立に苦しむことも多かったのですが、私が落ち込んでいると、必ず娘が「お母さん悲しい顔しないで、笑って。深呼吸。」と声をかけてくれました。娘のその言葉を聞くと自然と肩の荷が降り、楽になれる魔法の言葉でした。
昔は、楽天的で派手好きな娘とは口論も絶えなかったのですが、今思えば娘なりに神経質で考え込みやすい私を思っていてくれたのだと実感し、涙が止まりませんでした。
帰り際には参列者の皆様すべてに手作りのミニブーケを渡しました。たくさんの方に、「娘がすぐそばにいるようなお葬式でした」と声をかけていただきました。
私自身もここまで要望を通していただけるとは思わず、悲しい気持ちだけで終わってしまうお葬式ではなく、娘のことを多くの人が思い出すことができる明るい空間を作っていただけたことに深く感謝しました。
最後のお別れでは、娘から「お母さん悲しい顔しないで、笑って。深呼吸。」と肩を叩かれたような気がしました。
天国の娘もきっと優しく見守ってくれていると思います。