昨年の冬、父の葬儀を行ないました。
喪主は母でしたが、母も長期の看病に少々疲れている様子でしたので、
率先して私たち兄弟が母の代わりに父の葬儀の段取りを行なうことにしました。
父を久留米の聖マリア病院から自宅に移動した後、
打合わせに弟と同席しました。
葬儀の打合わせなど、初めてだったので、
緊張しながら葬儀社スタッフを待ちました。
ピンポーン。
ドアをあけると制服を着た若い女性が立っていました。
葬儀社のスタッフって結構年配のイメージでしたので、
内心大丈夫かなと思いながらも、打合わせを進めていきました。
最初は不安でしたが、話していく中で、とても段取り良く、
火葬場の予約や通夜料理の細かい注文もスムーズに進み、
だんだん不安もなくなってきました。
父は現役の頃は某証券会社にて長年勤めてました。
転勤族だったので、父の異動辞令がおりる度に家族揃って各地を転々としてました。
父の帰りは遅いことが多かったですが、
とても家族想いで、笑いが絶えない家だったと思います。
孫ができてからはよく父母、我々、孫の三世代で年に1回は家族旅行に行き、
旅先で撮った写真を誇らしげに見せながら、近所の友人たちに旅の思い出話を話していました。
きっとお参りに来られる方々にも写真を見て欲しいだろうなと思い、
弟といくつか旅行の写真をピックアップし、斎場の一角に飾りました。
また、父はとにかくお酒が大好きでした。。
お盆、お正月などにはあちこちから親戚がご自宅に集まり、
大好きなお酒を飲み、歌って踊っての楽しい宴席が夜遅くまで行われていました。
そんなお酒好きの父との最後のお別れのときは、
脱脂綿にお酒をつけ、皆で父の口に含ませました。
親戚の中には、「これだけじゃ、飲み足りんだろう」と言ったり、
笑いが起きるような和やかな雰囲気でのお別れでした。
また、母校の久留米大学の校歌をよく歌っていましたが、
その曲を献奏スタッフに覚えてもらい、葬儀の最後に、
キーボードでの生演奏に合わせて、親戚皆で歌い、父に校歌を届けました。
こんなに温かい家族を築いてくださった父とのお別れは辛いですが、
父との思い出話に花が咲き、終始和やかな気持ちで過ごすことができました。