突然訪れた母の葬儀

飯塚の実家の母が急に亡くなって葬儀社への手配

飯塚出身者ですが長期出張で単身赴任で首都圏の神奈川県に在住しているものです。

今からですと、既に1年近くにもなるでしょうか83歳になる実母が急に亡くなったことを知らされたのですが、その時の母を亡くしての実際の葬儀や葬儀社などの様子についてお話いたします。

勿論、知らせを受けてから急遽、実家の飯塚に向かったのですが、母の死亡の直接の原因については脳溢血という事でした。

其の日の母は夕刻まで元気だったようすで、入浴していて暫くの間出てこなかったので、妻が母の様子を窺ったところ浴槽の中で顔をうつ伏せにしていて亡くなっていたのです。

直ぐに救急車を呼んで病院へ運びましたが既に事切れていて、医師によって検死の結果が一応は事故死と見なされたので簡単な警察の調べも受けたのですが、結果として脳出血と断定されたのでした。
その後は勿論、急遽ながら葬式に望んだのですが、当然ながら当時は同居してはいなかったが長男の小生が喪主ということになったのです。
当然ながら、当初は葬儀社や葬式のあり方、其れに費用の面でも其の時は慌てていて頭はまっ白になりました。

偶々、嫁さんの実家が飯塚市内で近かったこともあり、即ち、義理の親父がしっかりものでしたので、その為に葬儀のための手順や準備、その他の諸々の手配などの助言を戴きながら、一応は滞りなくすみました。

いやーっ、其れにしても始めての身内の葬儀ということで、実に緊張して慌てていたのが昨日のように思い浮かびます。

飯塚の葬儀社での仮通夜、本通夜、本葬儀などの流れ

葬儀の手順としては先ず、飯塚市内の病院で医師の死亡診断をうけてから、其の晩は遺体を自宅へ運び入れ、身内や極近い近所の方などで「仮通夜」を行ないました。
その間に私や親戚の方などとともに色んな人への連絡を行いました。市役所へ死亡の通知(死亡届)と火葬場の日にちや時間等の手配は依頼をしていた飯塚市の葬儀社の方が行っていただけたのでスムーズでした。

葬儀社は定額の葬儀プランを設けており、そのためもあって費用も安くできるらしく、勿論、葬儀場は葬儀社と一体で距離的にも自宅から比較的近いところに有ったことで幸いしました。
この時に、「通夜」(本通夜)や「葬儀」などの日程も決められて最終的に火葬場までの手順が概ね決りました

次には、お坊さんの手配ですが、我が家では実は父の実家が飯塚から離れれたチョっ子田舎の方に本家の先祖の菩提寺がありますし、既に他界している父の墓もあるのでした。
そして其の寺院の宗派としては京都に本山を置く臨済宗の妙心寺派の末寺です。

葬儀社と相談の結果、飯塚市内に同系の寺院があるというので、そちらへ本通夜と本葬儀の際の読経をおねがいしたのです。

尚、この時点では戒名は未だなかったので、生前の母の名前の上に故をつけて仮戒名で行いました。 その後、仮通夜から本通夜、本葬儀等、一連の流れで一周忌までを合せて行いました。
因みに、本通夜や本葬儀(告別式)については、生前の母は意外と人付き合いが良かったらしく、ほとんど会葬者がいないと思っていましたが、30人近くの方々にきていただきました。

その後は、出棺の運びとなりましたが、最後に遺品や飾り花を棺内に納めて最後の別れになりますが、さすがにこの時だけは身内を始め参列者たちは涙に暮れていました。

そして、凡そ時間通り火葬場にて故人は遂に遺体から遺骨に変わり果てました。

飯塚の寺院墓地に納骨、埋葬するまで

しかし、此の時点では飯塚の葬儀社から自宅に有り、当然ながらお寺などへの納骨はされておりません。
そして、その後4周忌(1月忌)に合せて亡き父の実家でもある田舎にある菩提寺において、住職で有るお坊さんに正式に故人の母の戒名を付けてもらって、本来の墓地に費用を考えながら父の元に埋葬、納骨したのでした。

この時の参列者も私どもの親戚のものと、実家の父の身内のものや極親しいご近所の方が参列してくださって、この時は広いお寺の本堂で読経と焼香を行い、埋葬後に皆さんと一緒に精進払いを致しました。

ところで、お通夜は実家での仮通夜と葬儀場での本通夜とかが有るようですが、葬儀と告別式については一昔前までは「葬儀」は故人の友人や其の知人と最後のお別れをする儀式のことで、
そして葬儀に続いて行われるのが告別式で、喪主の最後の参列者へのお礼の挨拶などとともに会葬者の人々が全員で火葬場まで見送るものでした。

しかし、昨今では会葬者が火葬場までは行かないようになり、葬式と告別式がほぼ同時に行なわれますから、参列者は本葬儀のみに参加することが多くなっているようです。

その点家族葬のアイリスの一日葬プランは時代のニーズにあっているものだなと感じました。