頑固オヤジの葬儀

父の葬儀が終わり、母と父と妹と一緒に、久しぶりに実家を訪れました。

私の実家は田川郡の福智町で、父は地元の陶芸家を生業としていました。

 

幼い頃から父が工房で一人焼き物を作る姿

(といっても工房の後方の扉からしか入ってはいけなかったので背中しか見ていないのですが)

を妹と一緒に扉の近くで眺めていました。

 

毎日毎日飽きずに眺めていたためか、

私と妹は、当時はここまで詳しくはありませんでしたが、

その工程を覚えてしまうほどでした。

 

「お父さんがお仕事しているときに入ったらダメよ。お姉ちゃんなんだから我慢しないと。」

母は、私がよく妹と作業場に行っているのを知っていたため、

私に毎日そんなことを言っていました。

 

父は、頑固で派手好きではない性格で、

家族にさえ自分が作業している姿を見せたくない人だったので、

母がそういうのも仕方がなかったのです。

しかし、どんな遊びより父が焼き物を作っている所を見る方が楽しかったため、

母の目を盗んでは、父の作業場を覗いていました。

私たち姉妹は、「とうげいか」という仕事に、魅了されると同時に、父に憧れていたのです。

 

訃報を受けたのは、大学の講義が終わった後。妹からのLINEでした。

「お姉ちゃん、お父さんのことなんだけど・・・」

この日がやってくるという覚悟はできていましたが、

いざとなるとあまりの衝撃で泣いてしまいそうでした。

 

こみ上げてくるものを全部我慢して、

急いで家に戻って喪服と実家に泊まる為の簡単な準備をキャリーケースに詰め込み、

冬休み以来の帰省をしました。

 

実家に戻ると、居間で母と高校生の妹が葬儀社の方と葬儀内容について話をしていました。

母は、派手好きではない父のことを尊重し火葬だけでいいのではないかと提案していましたが、

私と妹は、どこか腑に落ちない感じでした。

 

「派手好きではないとおっしゃっていましたが、せめてご家族様だけで見送られるのはいかがですか?」

葬儀社の方の1人が、そのような事をおっしゃいました。

所謂、家族葬という葬儀内容らしく、

それなら、父の事も尊重でき家族だけで最期を見送ることができるという事で、

母と妹そして私も賛成しました。

 

祭壇は小さな花祭壇を飾り、父の希望通り、余り派手ではない最低限のものでした。

そして、祭壇には父が好きだった地元田川の日本酒「福太郎」をお供えしました。

式は滞りなく進行し、幼い頃からお付き合いがある田川のお寺の住職さんが

お経をあげてくださいました。

お経の音色とお線香の香りに包まれ、とても和やかな気分になり、

少し悲しみが和みました。

しかし、いざ出棺となると、これで最後だと思ってしまうと思わず涙が溢れてしまいました。

 

葬儀の後実家に戻って初めて入った父の仕事場は、幼い頃みていたときより狭く感じ、

土の匂いと窯の中の黒炭の匂いに包まれていました。

“大好きだよ。お父さんの仕事場も、焼き物も、お父さんのことも”

 

一般会葬の方はお断りをしていたため、お参りにこられる方が絶えず、

家の中はなんだか今までと違って少し賑やかになりました。

 

そして、四十九日を迎えようとしていた頃、

父が勤めていた窯元の方々がお参りにきてくださりました。

仕事のことをお互いに相談し合う親しい間柄のHさん。

そのHさんが帰り際小さな箱を手渡してきました。

それをあけると小さな骨壷が入っていました。

 

母がそれを手にとると「これは何ですか?」と聞き、

Bさんは

「これは手元供養のための骨壷だ。恩返しをできないまま、逝ってしまったから、

最後に何かできないかと思って、試行錯誤しながら焼き上げたんだ。」

と照れながらいいました。

 

小さな骨壷はとてもシンプルでしたが、よくよく見ると細かい模様が入っていて、

まるで派手好きではないが繊細な父をあらわしているかのようでした。

 

その骨壷は四十九日後、父のお骨を入れ、居間の中央に飾っています。

まるで父がいつも家族を見守っているかのようです。